|
マイケル・ボルトン(Michael Bolton、本名 Michael Bolotin、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブン出身、1953年2月26日 - )は、アダルト・コンテンポラリーのシンガーソングライターである。ハードロック歌手として頭角を現し、その後ブルー・アイド・ソウルやカバー曲のヒットで知られる。 80年代から90年代のアメリカのアダルト・コンテンポラリーチャートを賑わせた、当時のアメリカを代表するアダルト・コンテンポラリーのシンガーの1人である。 90年代からは三大テノールや、ルネ・フレミングとの共演などジャンルにとらわれない活動をしている。 売り上げは全世界で7500万枚以上、ビルボードチャートで8枚のアルバムがトップ10、2枚のシングルがトップになっているヒット歌手である。 主な受賞歴では、アメリカン・ミュージック・アウォーズを6回受賞していることやグラミー賞に4回ノミネートされ、2回受賞などがある。 その他の受賞歴も多数。 日本では"バラードの貴公子"や"バラードの帝王"などと呼ばれ親しまれている。 2015年3月現在、彼の公式フェイスブックに「いいね」をしている人の数は192万人を超え、今なお、根強い人気があることが窺える。 == 来歴 == 1953年2月26日、コネチカット州ニューヘイヴンのロシア系ユダヤ人の家庭に生まれる。幼少期より歌やサクソフォーンを嗜み、11~12歳の頃には作曲もするようになっていた。やがてクラブなどで歌い始めた彼は15歳の時に初めてのレコード契約をエピック・レコードと結ぶ。この時は本名のマイケル・ボロティンの名義で、2枚のシングルをリリースしたがヒットには結びつかずドロップされる。その後RCAレコードと契約して2枚のアルバムをリリースするが、これも大きな成果にはならなかった。 ヒットに恵まれなかったためソロ活動をやめ、1970年代末に新たにハードロックバンドのブラックジャックをブルース・キューリックらと結成。ポリドール・レコードと契約して1979年にデビューする。バンドは『Blackjack』『World's Apart』と合計2枚のアルバムを発表、オジー・オズボーンとツアーを行うなど積極的な活動をするものの、短命に終わる。 再びソロ・アーティストに戻ってコロムビア・レコードと契約し、名義をマイケル・ボルトンに変更してアルバム『マイケル・ボルトン』(1983年)を発表。当時の邦題は『大いなる挑戦』で、キャッチコピーは「ひとりメタル」であった。 同時期に他の歌手への曲の提供も手がけるようになり、ローラ・ブラニガン「ウイズアウト・ユー - ''How Am I Supposed to Live Without You''」(1983年)は彼にとって初めてのメジャー・ヒット作品になり、ポップ・チャート最高12位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは3週連続トップという大ヒットになった。以後もバーブラ・ストライサンド、キッス、ケニー・ロジャース、ケニー・G、ピーボ・ブライソン、パティ・ラベルなどに供している。 アルバム『いざないの夜 - ''The Hunger''』(1987年)ではハードロック的要素を避け、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ - ''(Sittin' on) the Dock of the Bay''」をカバーして自分のルーツを明らかにした。この曲はトップ40に入り、後の大ヒットへの足掛かりになる。 転機になったのはアルバム『ソウル・プロバイダー』(1989年)で、初のトップ10入り、400万枚を超える売り上げになり、シングルも5曲がトップ40入りした。特にセルフ・カバーした「ウイズアウト・ユー」は初のナンバー・ワン・シングルになり、グラミー賞では Best Male Pop Vocal Performance を授与された。続く『タイム、ラブ・アンド・テンダネス』(1991年)も売り上げが600万枚を超えるヒットになり、パーシー・スレッジのカバー曲「男が女を愛する時 - ''When A Man Loves A Woman''」(2度目のグラミー賞受賞)を含む4曲のヒット・ソングが生まれた。しかし「ラブ・イズ・ア・ワンダフル・シング」がアイズレー・ブラザーズに著作権侵害で訴えられてしまう。 以後もカバー曲集やオリジナル・アルバムがいずれも数百万枚の売り上げ、トップ10に入るシングルヒットも多数出し続けている。さらに音楽活動と並行して1993年に Michael Bolton Foundation(現在のMichael Bolton Charities, Inc.)という基金を設立。貧困、心理的虐待、身体的虐待、性的虐待に苦しむ人たちを援助し、370万ドルを超える額を供与しているなど、様々なボランティアを務めている。 日本との関係としては、人権と国際正義の為のスタンフォード大学WSD半田センターアンバサダーのメンバーを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイケル・ボルトン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Michael Bolton 」があります。 スポンサード リンク
|